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[エッセイ] ピアニストになるまで 【前編】

ブログへのご訪問ありがとうございます。
情景描写ピアニストになるまでの私のこれまでを、振り返ってみました。
少々長い文章ではありますが、読んでいただけることがあれば嬉しく思います。

 

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ピアニストを志したのは大学4年の時。それまでの私は、普通科高校に進学し、地元の岡山大学法学部に入学するという、ある意味スムーズすぎるような人生を送っていました。
大学3年から就職活動を始めました。面接まで順調に進み、このまま岡山での仕事も決まりそう。

 

しかしその時から、私の人生は少しずつ変わっていきました。

 

小さな頃からピアノはもちろん大好き。5歳くらいの頃、実家の一室にピカピカのアップライトピアノが来た日のことは今でも忘れません。飛び跳ねて喜んだ記憶があります。
ピアニストになるぞ!という想いで音楽を学んでいたわけではありません。多くの人がそうであるように、私もすぐ近所のピアノ教室に通い、ごく普通にピアノを習っていました。
発表会に出て、学校の合唱でピアノ伴奏をしたり、時々コンクールに出たりはしていましたが、その程度です。
昔は人前で堂々と演奏したりするような性格ではありませんでした。ピアノを習っていたのを知らない人もいたくらいです。でもピアノが大好きで、学校から帰ると好きな曲の練習ばかりしていました。
音楽とは無縁のごく普通両親で、練習しろと言われたことはおそらく1度もありません。練習のしすぎで、「そろそろ終わらない?」とむしろ言われていた程です。
音楽高校や音楽大学に進んでみたいという気持ちも心の奥底にはありましたが、自分の将来の可能性を早い段階で絞ってしまうことに抵抗も感じ、踏み出せずにいました。
選んだ高校は進学校。音楽以外のことを知った上で将来を考えようと思っていました。
大学は、就職に有利な地元岡山大学。法学部を選んだのは、正直なことを言えば幅広い業種に有利だと思ったからで、今思えば何とも消極的な選択理由でした。
それでも岡山に住んでいれば、ピアノを変わらず弾いていけるという想いもありました。
大学時代はアルバイト4つを掛け持ちしては、貯まったお金でピアノコンクールに挑戦したり、海外旅行、車を買って岡山中を観光したり、人生を歩む上での様々な経験をしました。
このときに私は【岡山が大好き】な人間になりました。こんなにも綺麗な場所がたくさんあって、美味しいものもたくさんあって、気候もいい。
学校では教えてくれない【岡山の本当の魅力】をはじめて実感できたのは、この大学時代でした。
この頃の私は法学部にいながらも、単位交換で音楽大学の授業を受けに行ったり、教育学部の先生に大学のピアノ練習室を貸していただいたりしながら、気が付けば大好きな音楽のことばかりが頭の中に広がっていました。
しかしながら、音楽の道に踏み出すだけの自信がどうしてもありませんでした。
音楽の道に進まない理由なんて、探せばいくらでもありました。

 

●仕事として難しい
●ピアニストとして成功する人はほんの一握り
●大学に進んだ時点で、スタートが遅い
●音楽を学ぶにはお金がかかる
●グランドピアノの練習環境がない
●せっかく進学したのにもったいない

進路に迷う度に、このような理由が邪魔をして、音楽の道に進まない選択を取るようになっていました。というより、

【他にやりたい仕事、向いている仕事がきっとある】と根拠のない思いを抱いて、音楽は趣味でやっていこうと思っていました。

本当は挑戦したい自分の気持ちをその理由で押し殺すようになっていた、という方が正しいかもしれません。

その頃から、バイトと掛け持ちで様々なピアノコンクールに挑戦し始めました。
音楽の道に挑戦していく自信や、自分が本当に音楽でどこまでできるのかを試したかったのだと思います。本当にがむしゃらな日々でした。
結果として、ショパン国際ピアノコンクールin ASIAのアマチュアソロ部門で銀賞受賞他、色々なコンクールで受賞ができ、そのころから音楽に挑戦したい想いが膨れ上がってきていました。
こんなに一生懸命になれる自分は、音楽に挑戦している時以外には見つかりませんでした。
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大学3年の頃、就職活動をはじめます。
向き不向き、好き嫌いに関わらず、全ての業種の説明会に行きました。きっとどこかに自分に向いている仕事があるだろうと思っていました。見つけなければとも思っていました。
しかし大阪と岡山をバスで行き来する日々が増えていく中でも、自分が一生懸命になって挑戦したいと思えるものは、音楽以外に一向に見つかりません。

 

「やっぱり音楽に挑戦したい」

 

その想いがどんどん膨れ上がってきた頃、
就職活動中に大阪で立ち寄った本屋さん。

 

時間の合間に何気無しにふらっと売り場を歩いていくと、一冊の本が目に入りました。
【癒しの音楽】と書かれた、薄っぺらい本。
なぜか気になり、手に取りました。
岡山までの帰りのバスの中でその本を読み進めるうちに、心が興奮してドキドキしてきました。
その本は、音楽の効果を科学的に分析・証明されている本で、音楽療法の可能性について細かく記されていました。

 

「音楽には、エンターテイメントや芸術という枠を超えた大きな可能性がある」

 

娯楽や芸術に収まらない音楽の可能性にワクワクして、そのバスの中で私の決心がついたんです。

 

 

「音楽の道に、挑戦しよう」

 

決まりかけていた地元就職先に、最終面接で辞退の旨を伝えました。音楽の道に進むのだと発言したとき、面接官の方は驚きつつも、エールを送って下さいました。
周りからは、そんないい就職先を辞退するなんて勿体無いとさんざん言われましたが、ここまで来た私の想いはもう揺るがないものになっていました。

 

全ての業種を見てきた上でも、やっぱり私には音楽しかない。音楽の可能性を信じて挑戦したい。

この頃の私には、音楽の道に進まない理由がもうありませんでした。挑戦したい想い、一生懸命になれる熱い想いが、全てを吹き飛ばしてくれました。

 

行きたい専門学校が東京に見つかり、東京都内で一番安い女子寮に入ることを決めました。一か月18000円の4人部屋。誰と暮らすかなんて関係なく、どんな生活であっても音楽を学べること以上の幸せはないと思いました。
在学していた岡山大学の法学部は、無事に卒業が決まりました。

 

当初両親は上京を反対していましたが、その頃の私はワガママだった為、音楽の道に進みたいという想いを無理矢理押し通していました。
あんなに仲の良かった母とも、口も聞かない冷戦状態が一年近く続きました。この頃は本当に家庭内が暗く、笑顔もない日々が続きました。

 

 

しかし最終的には、両親は涙を流しながら優しく私を見送ってくれました。
東京行きの新幹線にのり、手を振る両親が小さくなっていく様子を見ながら、あんなに自分でワガママを通した上京なのに、大好きな岡山や大好きな人達と別れる寂しさが急に込み上げて涙が止まらなかったのを思い出します。

 

音楽で成功するまでは、
こうして出て行った岡山にはもう帰ってこれないだろう。
そう思っていました。
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後編に続きます。

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