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[エッセイ] ピアニストになるまで 【後編】

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上京してからは、ピアニストとして本当にゼロからのスタートでした。

 

 

上京先にピアノも無ければスタートも遅い。
4人部屋は2段ベッドで、それぞれに洋服ダンス1つのデスクが1つだけ。
私以外の3人はみんな4歳下の子達で、はじめましてのメンバーで2年間を共に過ごします。
熊本の子に、香川の子に、福岡の子。みんな芸術やテレビ業界のことを学ぶ為に上京するような、とても個性的なメンバーでした。今でも4人部屋時代のメンバーは特別です。

 

毎晩笑い転げて、一緒にご飯を食べたり大浴場に行ったり。知り合いも親戚も東京にいなかった私には、この4人部屋が家族みたいでした。偶然の出会いが、かけがえのない大切な出会いになりました。

 

もちろん4人部屋にピアノはなかったので、2段ベッドの足元に61鍵の小さなキーボードを置いて。
冷暖房のない4人部屋で、ひたすら楽曲研究を進めていました。夏場は一台の扇風機、冬場は湯たんぽ。冬の寒い時期の練習は、指が痛くなりました。

 

音楽学校に通いながらのそれからの数年間というものは、自分にしか実現できないピアニスト像を
ひたすら探し続ける毎日でした。

 

ピアノが弾けるピアニストなんていくらでもいます。私より音楽を学んできた人は星の数ほどいます。
そんな中ピアニストとして、私にしか出来ないことは何か。
遠まわりしてこの道を選んだ私にしか見えない視点で、音楽に携わることはできないか。

 

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日々模索していく中で、はじめたのが作曲活動でした。
出来てくる曲は、大学時代にみてきた岡山の美しい風景を描いたものばかりでした。毎日東京の満員電車で通学していた私の心を支えていたのは、ふるさとの原風景でした。

 

大好きな岡山、
でも東京ではあまり知られていない岡山。

 

【岡山の魅力を作曲して、
この東京の地で音楽で発信していこう】

 

これは私にしか出来ない事だと確信が持てました。どんな素晴らしいピアニストにも出来ない事を、やっと見つけられたと思いました。

私の活動テーマの第一歩が、この時から始まりました。東京でコンサートをセルフプロデュースしては、映像や写真で岡山を紹介しながら演奏していくスタイルを確立していきました。

 

岡山の魅力を岡山の人にもっと再認識してほしいという想いから、岡山での音楽活動を増やしていくようになりました。自分の足での挨拶周りからスタートし、多くの方に応援いただきながら少しずつ活動は広がってきました。

 

活動を始めたてで私が全然岡山で知られていなかった頃から、活動内容に共感して損得勘定なしに力を貸してくださる方が沢山いらっしゃて、応援してくださった方々に本当に心から感謝しています。

 

成功するまでもう帰れないと思っていた岡山に、
今度は魅力発信する立場として帰ってきた。

 

今では岡山が私を支えてくれています。
人生って本当に分からないですね。
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「岡山の魅力、日本の魅力を音楽で世界中に発信していく」ことをテーマに掲げてから約7年間、ただただ一心不乱に進んできました。

 

地域の魅力発信は、音楽と組み合わさることで大きな可能性をもつという確信があります。

 

今までクラウドファンディングを通してイタリア、アメリカ、中国等の海外挑戦をする中でも、音楽が地域の魅力発信のツールとして大きな力を持つことを実感し、間違っていないということに自信を持ちました。

 

音楽は世界共通言語であると同時に、
時代を超えてもメッセージを伝えることができるという素晴らしい可能性があります。
娯楽、芸術という側面だけではなく、普遍的なものとしてメッセージを伝えられる重要なツールになるのです。

 

今の私が過去の作曲家から音楽を通じてメッセージや想いを受け取っているのと同じように、

私も今の日本の情景の美しさや魅力を世界へ、100年後の未来へ伝えていきたい。

 

100年後には、世界中で岡山の魅力を描いた曲が演奏され、歌い継がれ、街中で流れている状況をつくることに今後の人生を全うしていきます。

 

 

ごく普通の一般家庭に生まれごく普通に育ってきた私が、音楽の道に踏み出すまで。
踏み出してから、今の活動に至るまで。
長文にお付き合い下さりありがとうございました。
今の将来を迷っていたり、何かに踏み出せないでいる人達に、少しでも勇気を持ってもらえたらと思います。
まっすぐと迷いのない人生の歩み方を、今後もしていきたいと思います。

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