「人は変われる。ちょっとした経験で」
学生の頃。人前で何かするのは苦手でした。意見を言うのも表現するのも苦手でした。
誰のいうことも聞いて、なんでも反対しない大人しい性格だったこともあり、小学校の頃はいわゆる「パシリ」のように使われたこともあります。
それでも誰にも相談しないようなタイプでした。
意見して表現すると嫌われる気がして、怖かったからです。
そんな性格だった私が人前で演奏したり自己表現できるように変われたのは、何故でしょうか。
たいした挫折もなく志望校合格。
順調すぎる人生に疑問を持った私は、やっと自分の意思で道を選び人と違うレールにのって先のみえない人生をスタートさせました。
当時、きっと周りの人達は急に自己表現し始めた私に驚いたことと思います。
岡山大学を卒業し周囲の反対を押しのけて「ピアニストになるんだ!」と上京した私は、”何者かにならないと故郷に帰れない”という焦りばかりが先立ち、お金も未来の保証もない中アルバイト生活とピアノの練習にあけくれていました。
一人暮らしのアパートの電気が止まる日もありました。
立派に就職し人生を歩んでいる同級生たちを思うと、自分が惨めに思えてきたりしました。
「ピアニストとして自分にしかできないことをしたい」
こんなことを考えて毎日模索していた20代の頃。
やっと手に入れた憧れのロシアへの短期留学のチャンス。
しかし現地のレッスンでは「日本人っぽい弾き方が曲に合わない」と言われ、大きな疑問をもつことになりました。
人生を変えるような気づきを得たんです。
「日本人として行きているのに、日本人としての個性をピアノで活かせないなんて。私がやりたいのはこうじゃない」
こうしてたどり着いたのが、私が生きてきた全ての経験や見てきた情景、日本人としての考えや精神性などを思う存分に表現できる「作曲」。
西洋の楽曲をいかにうまく演奏するかという軸とは全く別のコンセプトで自分のポリシーとなるような考え方でした。
情景の作曲をする上で一番大切にしているのは「経験すること。」
寒い場所であれ、岩の上であれ、時には誰も行ったことないような海岸に行ったりと、
たくさんの経験を通して新たに感じた感情がそのまま「音」になることを知り、
豊かな感情表現ができるようになったんです。
真面目で人と足並みを揃えてばかりで、自己表現をしないタイプだった私から、少しづつ変われた気がしました。
私が変われたのは、たくさんの情景との出会いで経験を重ねて、自分の中に沸き起こる新しい感情を生み出すことができたからです。
情景と音楽を少しでも多くの方に届けて、今度は誰かにとっての新しい経験を届けられる側になりたい。何か一つでも心に新しい風を届けたい。
今私はそう思っています。
本来豊かなはずの自分の感情を知らず知らずのうちに押し込めていませんか。
ピアノ音楽には言語がありません。
思い思いの時間を過ごす中で、過去の記憶を辿ったり、どこか見たことのある情景に心が落ち着いたりできると思います。
経験が音になることを知ったように、私が今度は新しい経験を届ける側の人になって、少しでも「自分をさがす」お手伝いができたらいいなと思っています。
そしてそれはパソコンやスマホから流れてくる電気信号の音でなはく、空気を振動して直接体に伝わる音=生演奏でこそきっと届けられる。
自分の豊かな感情や心の奥底にあるものを解放できる何かが、情景の中にあり、自然の中にあり、空気を伝わって届く音の中にあると思っています。